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震災の語りにくさ

 

「非・当事者感」による、震災の語りにくさ。何かを語って、その言葉が「自分以上の当事者(例えば東北出身者)」に届いた時の、「知ったかぶりをしてしまった」という気まずさ(罪悪感)。

 

この「非当事者」という心理格差は、当の「当事者」間でも延々と続いていて、多分、「生き残った人の、亡くなってしまった方への(自分なんかが知ったようなことを言って良いんだろうか…という)罪悪感」まで続いている。結果、誰もが震災を語れなくなる。または、罪悪感を感じながら語ることになる。

 

何かについて語るとき、人には必ず「自分以上の当事者」が存在していて、「自分なんかが語っちゃいけないんじゃないか…」という罪悪感がある。震災を語る場合だけじゃなく、自分以外の何かについて語る全てのケースで、この罪悪感は立ちはだかる。「無神経/無責任/不謹慎」といった言葉に姿を変えて、語るのをためらわせる。誰かに実際にそう言われなくても、自分が自分にそう言って責めてしまう。「それでも」と勇気を振り絞れない限り、何も語れず、黙ることしか出来なくなってしまう。

 

非当事者感による罪悪感 (東日本大震災の場合)──
関東人は 東北出身者に、東北出身者は東北在住者に、東北在住者は被災自治体住民に、被災自治体住民は遺族に、遺族は犠牲者に